パーソナリティ障害について
自立神経失調症についてはよく書いてきましたので、今度はパーソナリティ障害について書いてみようと思います。
調べた結果なので、医療的な意味あいや間違ってしまっている点が
あるかもしれませんので、経験則で書いていきますが、そこはご了承お願いいたします。
依存性、回避性、統合失調性…
いろんな種類のパーソナリティ障害がありますが。自分で調べてみたところ、そうやら「回避性」が濃厚なのではないかと感じました。
他者にやさしい言葉を言われても、それはいけないことなのか?と「疑念」を抱いてしまうのです。それがいつしか悲しくなってその人から距離をとってしまうこともあります。
そしてこのせいで気分が沈んで落ち込みから脱却できない状況に陥って負の連鎖になります。
これが日常生活の妨げになるレベルだと、パーソナリティ障害と診断されるようです。
あくまでこれは私の場合です。この病気は個々のパーソナリティ(個性、特製や性格)に基づくものなので、自身の判断は早計かもしれません。
例えば「あなたは本当に優しいね」と言われたとき、皆さんならどう思いますか?
私は、本当に思ってるのかな?優しいことが悪かったかな?と思ってしまいます。
相手の言葉に悪意がなくても、どうしても感じてしまう「疑念」というものがあります。
昔から、何かにつけて母から厳しく勢いのある言葉を言われていました。
それは愛情あってのこと。起こっているような口調で大きな声で、時には理不尽を感じるくらいなこともありました。
横になっていると「そこに寝られるとじゃまだよ!」、母が仕事から帰ってくると「疲れて帰ってきてるんだから手伝いなさいよ!」
今から思えばおっしゃる通り、自分に非があったのは認めます。
ただ、やはり何かにつけて厳しい口ぶりなので、いつもいつも怒られている…と思っていました。
相談事や提案をすると「あなたは〇〇な面があるからできないでしょう」というようなニュアンスで、私があきらめそうな気持になると「そんな気持ちならやめれば?」と嫌みのように。
こうして過ごしてきたからというのが一つの原因と考えられると思いますが、相手の出方や言動を伺ったり気にしたり、過剰にネガティブになったりしてしまいます。
自分の今の発言で気分を害していないかな?
相手のこの発言は私にあきれてしまったのかな?
そう思うようになってしまった…のかもしれません。
一言で言うならば「メンヘラ」です。
発言する→否定される→どうして?→結果怒られる
と自分が勝手に思ってしまい、この繰り返しで、自分の考えることや自分の本心がどんどん「疑念」に埋もれて、自分で掘り起こすことすらできなくなってしまうのです。
再度申し上げますが、これは私の場合です。
自分で自分がわからなくなり、他者の言葉を借りて自分のアイデンティティを正当化しようとしますが、どんなに関係の深い人からの言葉でも「疑念」が邪魔をして、ある日怖くなって相手を避けてしまったりもします。
そして勝手に孤独感を感じてまたその人のところに戻っていき、これもまた繰り返されます。
いつにも増して落としどころがなくて恐縮ですが、同じような感情を抱いている方はいらっしゃいますでしょうか?
ぜひ共有してみたいです。
そして、パーソナリティ障害の症状としての一例を紹介させていただいたということにして、そういう人間もいるんだなと、認知度が広まると幸いです。
それにしても、人付き合いが難しい症状ですよね…
どうしたものか…